【コラム】『1917 命をかけた伝令』機関銃と塹壕の物理学。戦争に関係する弾道学のむずかしさについて

1917の背景

舞台となる1917年の3年前、1914年のサラエボ事件を契機に第一次世界大戦が勃発した。オーストラリア=ハンガリー帝国の皇位継承者であったフランツ・フェルデナント大公が暗殺されたことで、帝国はセルビアに宣戦布告。セルビアの裏ではロシアが支援していたが、当時オーストラリア=ハンガリー帝国と同盟を組んでいたドイツがロシアに宣戦布告を行う。続いて、ロシアと同盟を結んでいたフランスもこのいざこざに参加することになった後、ドイツはベルギー及びルクセンブルクに侵攻を強行。ベルギーと同盟関係にあったイギリスはこれで参戦を余儀なくされる。これにより、独軍vs英仏連合軍の構図が出来上がった。

1916年、フランスの北東部ヴェルダンで約10ヶ月に及ぶ戦いが繰り広げられた。フランス軍、ドイツ軍両軍合わせて700,000人以上の死傷者を出したなんとも悲惨な戦いである。同年、71日から1119日までフランス北部ピカルディ地方を流れるソンム河畔でも、凄惨な戦いが繰り広げられる。戦いはイギリス軍が中心となって展開した。作中のウィリアム・スコフィールド上等兵がメダルについて話すくだりがあるが、スコフィールドはこのソンムの戦いで功績をあげたようである。ソンムの戦いの後、ドイツ軍はヒンデンブルグ戦まで移動し、「撤退」を擬装。はじめイギリス軍はこれをドイツ側の作戦と見抜けず、特攻を計画するがというのが主な背景である。ちなみに、ドイツ軍の塹壕からの移動が完了したのは191745日であり、作品が舞台としているのはその1日後の46である。伝令を命じられた2人がドイツ軍の塹壕でまだ温かいやかんを見つけるが、それだけ直前の出来事だったということである。

まず弾道学の難しさについて

如何に銃という武器を作る上でその工学的不定性が絡んでくるかについて解説しておきたい。これは『1917』だけに関係することではないが、銃に代表される兵器を物理学的に正確に扱うことがいかに難しいことかを知ると戦争を題材にした映画を観る目が変わるかもしれない。

小型銃にはじまり、機関銃、大砲、といった弾丸を放つことで一定距離にある対象の殺傷を目的とした兵器を扱う物理学の分野を弾道学と言う。弾道学は発射された弾丸が辿る過程に対応して、さらに4つの分野に分けられている。まず装填された弾丸が加速され、銃口を通過するまでを扱うのが砲内弾道学である。弾丸の尾部分に付けられた火薬が着火し、後方にあるガスが膨張し、膨張したガスに追いやられる形で弾丸が加速する。これがそもそもの「銃」の発射原理である。

さて、燃焼ガスが着火した瞬間銃身内部の圧力が急激に増加する。そしてすぐにガスが膨張し温度が低下し、圧力が急激に減少する。この部分の調整がまず1つの難点である。弾丸の加速が完了し、銃口を通過するその瞬間、火薬はきちんと燃え尽きている必要がある。銃口を通り抜けた弾丸が絶賛爆発中だと言うまでもなく危険だからである。銃の引き金を引いた瞬間、銃身内の圧力は最大値を取るが、そこから弾丸を追いやる形で膨張するガスが圧力を下げていく様子をグラフに示すと

こんな感じである。この圧力曲線をきちんと誤差なく調整し、発射側の人間が花火に合わないよう銃身距離やその強度を銃を設計する必要がある。なるほど、すでにこの時点で難しそうである。

この砲内弾道学の次に考えなくてはならないのが過渡弾道学で、これは発射された銃弾後方のガスの圧力が大気圧と等しくなるまでを扱う物理学である。私も弾道学の専門家ではないので詳しく話すことは出来ないが、要するに過渡弾道学は弾丸後方のガスの対称性を問題にしている。弾丸後方のガスが対称性のある綺麗な形をしていないと、弾丸はその影響を受けてしまい、まっすぐに飛ばなくなってしまうのだ。一定の確率でまっすぐに飛ぶ量子力学的銃みたいなのでは誰も使おうとしないので、このガスの対称性の調整も超絶に大事な部分である。

そして弾丸後方のガスが外気圧と等しくなったとき、砲外弾道学の出番である。普通ボールを前に向かって投げたら、ボールの軌道は放物線を描いて落ちていくのは誰もが経験して知っていることだろう。ただ弾道学の観点から言うと、話はそう甘くない。高速で運行する弾丸は空気からの抵抗を激しく受ける。この空気から受ける抵抗力をまた正確に考えるには流体力学を使う必要があるが、なんにせよ空気抵抗を受けた弾丸は理想的な放物線軌道からややずれた軌道を描くことになる。「そのくらい良いのではないでしょうか(^^;」なんて言っていたら当然戦争には勝てない。こうして様々な不定性をどうにかして最小限に留めようと、人類は多くの金と時間を兵器開発に割いた。人間は実に愚かなもので、戦争にやる気を後押しされて初めて急速な科学発展に本腰を入れ始めたのである。

さて一応、まだ弾道学は残っている。終末弾道学と呼ばれるものであり、弾丸の到着点で標的に対する殺傷性を議論する分野である。到達した弾丸が標的に対してどの程度の貫通力も持つか等々、銃の威力に直接的に関わる部分である。標的の体内にペネトレイトした弾丸が、その弾頭を爆散させ拡張させたり殺傷力を強めるタイプの銃もあるが、そういった非人道的な武器の使用は1899年のハーグ陸戦条約で禁止されている。

 

なぜ塹壕戦だったのか

第一次世界大戦は「塹壕の戦い」とも呼ばれるほどに、敵味方両軍ともに塹壕の存在を前提とした戦いを繰り広げていた。実際、ベルギーの前線60kmの区間では、塹壕の全長を合わせた距離は実に4900km以上に及び、ベルギーという国そのものの地形を変えるに十分過ぎるほどの距離の塹壕が引かれた。4900kmという数値は京都市からシンガポールへの距離に相当する数である。

1917は冒頭から、塹壕にいる兵士たちの凄惨な生活を垣間見ることが出来るが、そもそもなぜ塹壕を築く必要があったのだろうか。端的にいってしまえば、ここまで弾道学の難しさについて語ってきたが、物理学に代表される科学の発達が兵器の開発を支えたから、というのが主な背景である。いやむしろ「支えてしまったから」という言い方の方が適切かもしれない。「塹壕の戦い」と呼ばれるようになったのは、第一次世界大戦がそれ依然に「機関銃の戦い」であったからなのだ。弾道学が予想する弾丸の誤差を最小限に留め、より効率的で殺傷性の高い銃を開発できるだけの科学力の余裕が出てくると、当時としてはユニークとも言える兵器が沢山出てきた。その一つが機関銃である。

1871年の時点で「機関銃」と呼べるものは出てきたが、1905年になるとコルト社が重量を大幅に下げた機関銃を開発する。こうして弾圧の強い機関銃が開発されると、戦場で何千何万もの人間が一方向に向かって突入するという古典的な戦法をとるのは著しくリスキーなものとなり、その闘争心はむしろ防御の向上へ傾くようになる。そして敵対する国同士、それぞれが塹壕という「射線からの隠れ家」を用意するわけで、それによって戦争は硬直状態にならさるをえなくなる。(幸い、現実では「ウォンテッド」のように銃弾は曲がらない)

それでも突撃してくる兵士に対応するために鉄条網が用意され、そして鉄条網を超え敵国の塹壕に侵入するために戦車が導入された。つまり、第一次世界対戦という戦争は科学技術の発展に支えられつつ、逆に発展を支えた戦争なのだ。

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