『コンタクト』を宇宙物理学の観点から解説。電波天文学、オッカムの剃刀、中性子星とは?

言わずと知れた「コンタクト」の原作者であるカール・セーガンは天文学者として、地球外生命探索プロジェクト(SETI)に文字通り人生を賭け、その科学を発展させた人物である。宇宙生物学の父として、彼は科学史に名を遺した。

今回の記事では映画『コンタクト』に関連する宇宙物理学的な小ネタを話していきたいと思っている。実は私の普段の専門は宇宙物理学で、主に宇宙空間における高エネルギー物理学を研究している。『コンタクト』の主人公は電波天文学を専攻しており、少し私の研究分野とは離れているが、それでも同じ宇宙の畑の研究をしている者同士として感じたことを今回は綴った。それでは前置きはこの辺にして、さっそく内容に入っていこう!

なぜ電波天文学か

『コンタクト』主人公の研究者エリナー・アロウェイは電波天文学を専門にしていた。彼女はヴェガからの電波信号を解析し、地球外生命体の存在を明らかにした。彼女が観測に用いていたカール・ジャンスキー超大型干渉電波望遠鏡群は、宇宙から到来してくる微弱な電波を観測するための望遠鏡であり、彼女はその27基もの大型望遠鏡を操作することの出来る専門家であったわけだ。

ところで、なぜ電波なのだろうか。電波というと、ラジオや電子レンジ、レーダーといった現代機器に付随するもののイメージが強いかもしれないが、実は宇宙に存在する様々な星や銀河は地球に向かって電波を日常的に放射している。宇宙に存在する星間ガス中の電子から電波が放射されていたり、星の超新星爆発によるもの、ブラックホール中心から吹き出す高エネルギージェットによる放射など、様々な物理過程を通して、宇宙は地球に向かって電波を放出し続けている。

エリナーは地球外生命体探索のために、電波の観測データを使っていたが、現実に存在する電波天文学者が全員地球外生命探索を行っているわけではない。むしろ、そうした探索を行っているのはごく少数派で、宇宙から降ってくる電波の雨を通して、ブラックホールに関連する高エネルギー現象を解明するつもりであったり、宇宙創生・ビックバン時の状況を解析するつもりであったりと、その研究目的は多岐に渡っている。しかしそれでもエリナーが生命探査を行うのに、電波天文学を選んだのは、実は電波には他の種類の電磁波にはない特徴があったからだ。

宇宙から地球に向かって飛んでくるモノは何も電波だけではない。夜空を見上げれば、私達は星空を眺めることができる。少なくともこれは、星が可視光を放っているからだろう。星や銀河は可視光や電波以外にも、様々な目に見えない光(正確には電磁波)を放っている。赤外線や紫外線、X線やガンマ線など、光のエネルギーの多寡に応じてその呼び名が変わるわけだが、そうした様々な種類の光が宇宙を飛び交っている。大抵、天文学者は光の担当というものが分かれていて、赤外線観測を専門とする赤外線天文学者、X線観測を専門とするX線天文学者という風に細分化が現代では進んでいる。さらには、光に限らず、『インターステラー』でも登場していた「時空の小波」の重力波、その他には宇宙線やニュートリノなどこれまた多種多様な”情報”が、地球に降り届いてくるのだ。

100億光年先の銀河なんてとてもじゃないが現地に行くことは出来ないので、こうして届く宇宙からのメッセージを通して、天文学者・物理学者は宇宙の神秘を解き明かしている。

さて、話を元に戻そう。なぜ、電波だったのか。実は電波は他の光に比べて、波長がとても長い、という特徴を持っている。ここで、突然だが音が物陰を回り込む、「回折」と呼ばれる現象をご存知だろうか。隣の部屋の声など、もので遮っているはずなのに、音はその物陰を回り込み、私たちの耳に到達する。この回折と呼ばれている現象、これは音特有の物理現象でもなんでもなく、「振動によって伝わるもの」つまり「波」に由来する物理現象である。電磁波(光)も音と同じように「波」であるから、音と同じように回折を起こすことが知られている。

ただ、その回折の「起こりやすさ」は波の波長と回り込む対象(モノ)の大きさのスケールに関係して変わってくる。実はこの関係は日常生活における、光と音の回折の違いに現れている。音は日常的に物陰を回り込んでくるが、光は回り込まない。正確にいうと、回り込んでいるように”見えない”と言う方が正しいが、これは可視光の波の長さが大体数百ナノメートルの極めて微小な長さであることに起因している。光は音の1000万分の1程度の波長をもつため、音にとっては回り込むことが容易い障害物であっても、光にとっては1000万倍大きい障害物と感じることになる。

女性の声の平均的な周波数は大体300Hzだと知られているが、これは波長に換算すると約1mとなる。つまり私たちが日常聞く「音」の波の長さは、大体メートルの単位で表すことのできる範囲の話なのだ。そしてその音の1m程度という波の長さの尺度は、人間の身の回りに存在するモノ(障害物となりうる)とm(メートル)という観点で等価だろう。光も回り込む対象が、タンスやドアなどm(メートル)の尺度の障害物でなく、その波長帯に合わせたナノメートル程度の物体なら光も回折を起こすようになだろう。ともかく、日常生活のスケールでは、光の回折を人間が感覚することがそもそも出来ないのだ。

さて、電波は波長が長いと言ったが、「長い」とは逆に宇宙にある星間ゴミなど小さいものには回り込みにくく、方向を変えられることが少ないということである。天体から放出された電波が、途中の宇宙空間に存在するチリやゴミにいちいち方向を曲げられてしまっていては、地球に届く頃にはそれがどこから来た電波なのかが分からなくなってしまう。電波は曲げられにくいため、遠くのものをみるのに適している。これが電波であった理由だ。

エリナーは幼少期の頃、父親と遠くの地域の人間との通信を楽しんでいた。その際、エリナーは父に「ニューヨークには(電波が届く)?」「中国には?」「月とは話せる?」と訊く場面があるが、原理的には近くの地域の声を電波として捉えるのも、宇宙規模の距離に存在する極めて遠くの天体の電波放射を拾うのも、同じことである。(もちろん天文学としては到来方向の決定が大切であるから、電波望遠鏡はそのための干渉装置や複数台による同時観測を行っている) 距離に応じて、適する電波の観測波長(周波数)は異なるが、エリナーは文字通り幼少期から、電波の虜だったわけだ。

ジャンスキーという単位

ジャンスキーは電波の強度を表す単位である。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』に登場した、存在しない単位「ジゴワット」とは違い、このジャンスキーは実際に電波天文学の現場で日常的に使われている単位である。電波銀河(電波を強く放射している銀河)を見れば、その電波の強度が数十ジャンスキーとか、そんな程度の量として使われる。

エリナー達が初めてヴェガの電波信号を捉えた場面で、「ピークは100ジャンスキー超」とジャンスキーが使われていたのを覚えているだろうか。地球から見て、最も明るいと言えるレベルの電波源が大体1~100ジャンスキーの値を取る程度である。このようなとてつもなく強い電波が、近隣のよく知れた恒星から飛んできたのだから、天文学者達が驚くのも当然なのだ。実際、その数値を聞いた直後、「驚いたな」という台詞が挟まれる。

この作品の、登場する物理量や専門用語が適切に使用されている具合は、流石にカールセーガンの力を感じずにはいられない。

素数の送信が意味する知的生命体の存在

エリナー達は送られてきた信号が、実は素数を数え上げていることに気づくのに時間は掛からなかった。外部の知的生命体による素数の送信が意味することとは、まさにその「知性」の証明に他ならないのだが、加えて「数学体系」を一部分は共有していることを示唆している。エリナーが言ったように、英語や日本語などの自然言語は宇宙人の持つ言語との間に共通点を見出すのは難しいだろうが、同じ宇宙や自然を対象にする物理学や、宇宙中のどこであっても真に成立する数学の方が、共通に理解できることが多いかもしれないのだ。

とはいえ、『メッセージ』では知的生命体側の数学・物理学体系が、人間のそれとはかなり異なったモノとして描かれていたが。ただ、観測する物理現象は共有しているはずであり(宇宙のどこであっても重力や電磁気力は存在するので、一般相対性理論などの重力理論やゲージ理論といった電磁気学を一般化した理論などを知的生命体が思いつくのに時間はかからないだろう)、そのために構成される自然科学・数学は本質的な部分では大差ないものになっていることが予想される。

そうとはいえ、地球側の科学の歴史の短さを考えると、科学力で相手を負かすのは最初から諦めた方がいいだろう。この辺りに興味がある読者は、今話題の中国SF『三体』をお薦めしよう!

信号が画像に

最初に受信した信号とは別に、倍の周波数帯の8.9247ギガヘルツにも信号を発見したエリナーたち。「マイナスの周波数帯も!」という台詞から、地球外生命体(ヴェガ星人?)は2次元フーリエ変換された情報を伝達していたことが示唆される。

最初に受信した4.4624ヘルツの信号だけでは単なる波だが、その倍振動の8.9247ヘルツやその倍、もしくは逆向きに振動する負の振動数を持った波を同時に送れば、画像データのような複雑なデータもそこから再構成することが出来るのだ。このように沢山の異なる周波数の波を重ね合わせて、一つの画像や音声などを得る手法はフーリエ(逆)変換と呼ばれている。

現代ではありとあらゆる電子機械やその通信技術に使われている手法である。

パルサー(中性子星)

最も代表的な中性子星のかにパルサー。かに星雲の中心に存在するとされている。

字幕でもパルサーとしか訳されていなかったが、パルサーは直訳すると「パルス(信号)を出す星」である。その正体は中性子で出来た星で、高速自転することにより、時間変動の大きいパルス信号光を放出する天体である。

太陽質量の8~10倍の質量を持つ恒星が超新星爆発を起こし、最終的に残る核のような星が中性子で出来た中性子星である。

中性子星は強い電波放射を行う天体の一種なので、電波天文学では主役級の研究対象となっている。他にも「コンタクト」には「クエーサー」などの名前が出てきたが、これは数十億光年に存在する、活動が活発で強い電磁波を放出している銀河のことを指している。宇宙では、遠方である、ということはそれだけ「過去」の光を見ていることになる。クエーサーを研究することは、初期の宇宙の描像を研究することにそのまま繋がるのだ。ちなみに、私の研究対象もこのクエーサーである。

オッカムの剃刀

『コンタクト』における1つの重要なキーワードとして登場していた「オッカムの剃刀」、作品を観る前にきっとその言葉の意味するところを知っていた人も多かったはずである。「ある事柄を説明するためには、必要以上に多くを仮定するべきでない」と主張する実にシンプルな指針である。エリナーが神の存在を否定とは言わないまでも、「不必要な仮定」とパーマーに指摘した際、彼女の頭にあったのは日本の哲学者伊勢田哲治が挙げた有名な等速直線運動の例に似た議論だったのだろう。

Wikipediaでも紹介されているくらい有名なオッカムの剃刀の実践だが、例えば等速直線運動を説明する以下のような文があったとしよう。「外から力が働かない限り、神が等速でまっすぐに動かし続けている」この文は、「神が」という仮定を削除したとしても、現象の説明力を欠損することがないのが自明だろう。したがって、オッカムの剃刀の指針に従うならば、この「神が」という語句を削ぎ落とすのが是である、という判断が下されることになる。エリナーが言ったように、「神の存在」の仮定はオッカムの剃刀にしたがうならば、必要のない「余計」なものである、ということだ。

ただここで「神」の仮定を外すことは、「神」の存在の否定に繋がらないことに注意しなくてはならない。実際、今観測されているあらゆる現象を説明するために「神」の存在を仮定する必要が無かったとしても、それは「偶然そう済んでいた」という可能性を捨てきれない。天動説から地動説へコペルニクス的転回が起こったのと同じように、科学の歴史とは「仮定」の存在としての神を外へ外へと追いやってきた歴史でもあったといえる。「光あれ」と始まったと考えられてきた宇宙開闢も、現代科学によれば、それほど単純な話ではなかったことが分かっている。0を1にするために必要だった「神」の存在も、いまや0を0.00000…1にするために必要な「神」へと成り下がってしまった。科学、物理学はいずれ宇宙の完璧な設計図を手に入れるだろう、そのような傲慢ともいえる自信に、エリナーは満ち溢れていたのだ。

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