2019年にHBO・Sky UKによって製作された『チェルノブイリ』の歴史的な大成功の影響を受けて、Netflixでも一発当てたくなったのだろう。Netflixオリジナル『メルトダウン:今語られるスリーマイル島原発事故』は1979年にペンシルベニア州スリーマイル島で発生した原子力発電所の大規模な事故をドキュメンタリー形式で追うドラマである。原子力事故の度合いを表す指標として国際原子力機関 (IAEA) と経済協力開発機構原子力機関 (OECD/NEA) が定義した国際原子力事象評価尺度というものがある。事故の影響度を単にレベル分けしたものだが、最も深刻な事故とされるレベル7から降るようにして見ると、まずチェルノブイリが最大レベルの7に振り分けられる原発事故として位置していることがすぐに分かる。そして福島原発の事故を除けば、次に「事故」として認識されているのはレベル5とされる当該スリーマイル島の事故とされている。『チェルノブイリ』があの完成度で先に作られてしまった以上、チェルノブイリを主題に置くのは畏れ多いというわけで、取材もアメリカ国内で完結するスリーマイル島の事故が選ばれたのだろう。そもそも深刻と判断されるレベルの原発事故は歴史的にも稀なのである。
米国ペンシルベニア州スリーマイル島で発生した原子力発電所事故。当時の出来事を振り返り、事故後に持ち上がった疑惑や今なお尾を引くその影響を関係者が語る。(Netflix)
さて、原子力発電とはいかなるメカニズムに依って動いているのか。本作のタイトルに使われたメルトダウン(炉心溶解)とは何か。ドキュメンタリードラマとして本作の完成度はどう評価されるべきか。今回の記事ではそのようなことを話していきたい。そもそもドキュメンタリーの形式をとったにもかかわらず、科学的な側面からの解説フォローアップが少なかったのが本作における大きなマイナス点である。後述するが、登場する科学者が超弦理論や宇宙論を専門にするミチオ・カクだったことも同様の種の問題だ。本作のコンテクストにおいて、彼を核物理学者として紹介するのはあまりにも無理があるというものだ。
原子力発電のメカニズム
原子力発電の原理は、その基本的なところに限ってしまえば極めてシンプルである。燃料が違うだけで、火力発電とその原理は共通している。火力発電のボイラーに相当するのが原子炉であり、燃料は化石燃料の代わりにウランを用いる。ウランが連鎖的な核分裂反応を行うことで熱を発生させ、水を水蒸気に変える。水蒸気はその圧力によりタービンを回し、回されたタービンが接続された発電機を回す。発電機は磁石とコイルで出来ており、磁石を回すことで電磁誘導現象が起こり、コイルに電流が走るのだ。これにより電気エネルギーを取り出すことができるわけだ。
加圧水型原子炉(PWR)の模式図。https://ja.wikipedia.org/wiki/原子力発電 より引用。
燃料のウランは特殊な方法により濃縮されたウランを用いなければならないことを聞いたことがある人も多いかもしれない。そもそもウランは92番目の元素であるが、全ての元素にはポケモンの色違いとも言える「同位体」という仲間が存在している。天然のウランをほいっと拾ったとき、99%の確率でそれはウラン238という種類を拾い上げることになるだろう。それ以外に0.7%の確率でウラン235という種類のウランを拾うことがあるだろう。このウラン235はウラン238とは違い、原子力発電の要となる核連鎖反応を起こしやすいという性質がある。
ひとたび中性子※をウラン235に衝突させるとウラン235はキセノン133やヨウ素131(本作にもこの元素の名前は登場していたことを思い出せる人は記憶力が良い!)などに分かれるついでに、いくらかの熱と中性子を複数放出する。放出された中性子がまた別のウラン235に衝突し、また同じ反応を繰り返す。それぞれの反応で熱を発生させるので、連鎖反応の結果、膨大な熱が貯まることになるわけだ。この熱を利用して原子力発電所は「発電」しているわけである。初めから天然に多く存在するウラン238は中性子捕獲反応という「中性子を吸収」してしまう反応が進みやすい性質があるため、連鎖反応を起こしたいという目的の上では邪魔になる。そこで天然ウラン中のウラン235とウラン238の比率を変え、ウラン235の量を少し多くする濃縮をして出来上がった特性ウラン(濃縮ウラン)を燃料として用いるのである。
※ここで衝突させる中性子は常温の環境と熱平衡状態にある“低速“の中性子である。
原子炉内での核分裂生成物。https://www.env.go.jp/chemi/rhm/r1kisoshiryo/r1kiso-02-02-03.html より引用。「減速された中性子」は後述するように水などに衝突することによる。核分裂の際に膨大な熱エネルギーが発生するわけだが、原子炉はその熱を利用することで発電を行っている。また、ここで記載されている反応は全て確率的な事象であり、必ずしも上記の反応が100%進行するというわけではない。原子核レベルの世界は基本的に確率法則で支配されているのだ。
さらに正確に言えば、中性子捕獲反応を起こすウラン238は必ずしも邪魔というわけではなく、それはそれで大切な役割を持っている。中性子による衝突に契機された核連鎖反応を起こしたいからといって、人間に制御出来るレベルにまで反応を留める必要があることを忘れてはならない。実際低濃縮ウランの大部分は濃縮をしたといっても天然モノ同様、大部分はウラン238に占められるわけであり、このウラン238がある種中性子たちが”暴走”しないように捕獲をする役割を担う。この捕獲反応の結果、プルトニウムが発生するのだが、原子力発電の使用済み燃料の話題で「プルトニウム」という単語が発されることが多いのはそういう訳である。
とはいえウラン238による中性子捕獲だけでは核分裂の連鎖反応の”暴走”を止めるには実は心許ない。低速の中性子に衝突したウラン235は核分裂と共に高速の中性子を放出するが、この高速中性子を減速させる”減速剤”を原子炉は必要とする。そう、実はそれが水である。中性子の速度を落とすためには何かしらの媒質で空間を満たすか遮蔽する必要があるが、鉛などの厚い金属板を持ってきても中性子は簡単に通過してしまう。中性子を”減速させる”役割は実は水素こそが得意なところ※であり、スリーマイル島原子力発電所の原子炉も軽水(普通の水)で満たされている。濃縮ウランのウラン235の比率を変えたウランを用いて、重水で原子炉を満たす発電方法もあるが、基本的な原理は共通である。
※水ないし水素というと心許ないと感じるかもしれないが、こと中性子の速度を落とす(=衝突させる)ということに限っては水素は抜群の性能を誇る。正確に言うと、高速中性子との衝突には原子量が小さい軽い原子(水素、ベリリウム、黒鉛など)が適している。それら軽い原子の質量が中性子のそれと似通っているため、まるで同様の質量を持つビリヤードの玉が反跳するが如く、激しい衝突を行ってくれるのだ。
スリーマイル島原発の事故
何が起こったのか
この節の解説は特に第一話「事故発生」と関わりが深い。
結局、スリーマイル島原発では何が起こったのか。本作でも強調されていたようにこの原発事故は人為的ミスと設計上のミスが幾重にも重なったことで起きた事故である。ここでは、この事故の概要を今一度説明していこう。
『メルトダウン:今語られるスリーマイル島原発事故』予告編より。皆さんお忙しそうにしているが、誰も補助給水系の出口弁が閉じられていることを確認していないのである! https://www.youtube.com/watch?v=nAOIH8HRdDo&t=3s
1979年3月28日、ある配管中のフィルターの洗浄作業を行っていた際、少量の水が給水ポンプに入り込んでしまい、主給水ポンプとタービンが停止した。この給水ポンプは蒸気発生器に水を送り込む役割を担っている。この主給水ポンプが止まったことにより、補助給水ポンプが自動的に立ち上がるが、なんと補助給水系の出口弁が閉じられていたため、水が蒸気発生器に送られることはなかった。こうなると原子炉の温度と圧力はどんどん上がってしまうことになる。この時点で既に大変まずい異常事態が発生しているが、ここからさらに状況は悪化する。
原子炉内の圧力が急激に増加したことで(本作でも圧力計の値が急激に増加したことを示唆するシーンがあったのを覚えているだろうか。このように物理量の値が短期間のうちに急激に増加すると大体測定系はサチュレーションを起こし、測定針が異常値を示したり、示した後急激に落ち込んだりする。)、圧力逃し弁が開く。さあこれで原子炉内の圧力は下がっていったわけだが、まだここで問題が発生だ。圧力が下がった後も圧力逃し弁が閉まらず、原子炉内からどんどんと圧力が失われていったのだ。これはつまり原子炉内の水がどんどんと外へ逃げ出していくことを意味する。このタイミングで非常用炉心冷却装置が自動的に働き、原子炉内に水を補給しようとなった間際、オペレーターの1人がこの冷却装置を誤って切ってしまったのだ。ここまでで事故開始後4分38秒が経過している。冷却装置が停止されたことにより、原子炉を冷却するシステムがいなくなってしまったわけだ。水が失われたウラン燃料は“暴走”を開始する。原子炉内の温度は急上昇し、かくして炉心溶解の事態が訪れる。結果として炭素鋼で構成された原子炉容器は炉心溶解を耐え切り、溶解物が外へ出てしまうことは避けられたため、本当に深刻な事態になることはなかったがせめてもの救いである。実際、この先に進んでしまった事故はチェルノブイリだけである。
なぜ起こったのか
『メルトダウン:今語られるスリーマイル島原発事故』予告編より。「おうち帰りたい」という顔である。 https://www.youtube.com/watch?v=nAOIH8HRdDo&t=3s
スリーマイル島原発の事故の原因は主に6つの要素から構成される。まず補助給水系の出口弁が閉じたままで発電所が運行されてしまったのは人的ミスの1つである。出口弁が閉じたままであるということを示すランプが灯っていたのにかかわらず、メンテナンス表示に覆われており、確認することを忘れていたのである。次に圧力逃し弁が開かなかったのは、機械の故障であった。そして緊急冷却装置の作動を停止させたのは明らかにオペレーターのミスであり、人的ミスである。高放射性の水が外へ逃げてしまったことの言及が本作でもなされていたが、これは設計ミスといえるだろう。設計ミスも人的ミスといえばそうかもしれないが。そして冷却水を不必要に停止させたのも人的ミスである。
これら事故原因は強調しても強調しすぎることはない。福島原発の事故は東日本大地震という自然災害が発端となった未曾有の事故だったことを考えると、スリーマイル島原発の事故の持つ性質は少々異なっているものだったといえるだろう。設計ミス、機械の故障、人的ミスが幾重にも重なり合って生まれたこの事故が1979年という歴史的にも早い段階で起こってくれたのは、ある意味人類にとってお灸を据えてくれた良い機会になったのではないかともいえる。
ドキュメンタリーとしての本作
本作は4話構成の累計3時間超のドキュメンタリー作品である。本作を観た直後、まず初めに思ったことは「作品全体の姿勢が反原発に傾きすぎていた」ことだ。スリーマイル島の地域住民であったPaulaやJoyce、原発作業員のEricらも全員反原発である。事故当時幼少だったNicoleに関しては原発に対する姿勢は作品全体を通して不明で、原子力規制委員会(NRC)のレイク・H・バレットは作品中ただひとり明確な原発推進派として登場していた。ただしレイクは少なくとも本作においては、とにかく言うことが冷徹で、これでは観客がレイクに対して反感を覚えるのも仕方がないことだろうと思ってしまう作りであったことは確かである。
特に私が本作に対し違和感を覚えた部分は前述したが、核物理学の専門家としてミチオ・カクが登場していたことである。ミチオ・カクは米国のスター的な理論物理学者で、特に超弦理論に対して重要な貢献をした物理学者として知られる。超弦理論というのは物理学の様々な理論を統合することを目的としたいわば究極理論で、現実的な(正確には、現象論的な)物理学から最も遠い分野である。対して原子炉の中で起こっている核物理的な反応を扱う原子核物理学という分野は、極めて現象論的で実験に則した物理学であり、同じ物理学でも超弦理論とはお互いにかすりもしない分野である。とすると、ミチオ・カクが突然核物理学の専門家として登場することに構成として非常に歪みがあると言わざるとえないんじゃないだろうか。ここで登場して欲しかったのは、核分裂反応に関して長年研究を行ってきた実験系の物理学者であり、チョークやペンをだけを使うコテコテの理論物理学者ではなかった。
度々登場していた理論物理学者ミチオ・カク。大先生ではあるが、メディアに出過ぎていて論文を探すのすら苦労するタイプの科学者である。https://es.wikipedia.org/wiki/Michio_Kaku
それに本作において、ミチオ・カクは言うことも大変微妙だ。彼はメディア露出が多すぎて、悪い意味で歯に衣着せぬ物言いをする学者らしい喋り方をしなくなってしまった。科学者の役割はデータに基づいて客観的な物言いをするある種マシーンのような存在であるべきなのだが、彼は鍛え上げた口の巧さで本作でもその力を遺憾無く発揮していた。例えばミチオは、科学者でなくても言えるような事故に関する一般的な注釈を終始述べ続けていたのは今更いいとして(これは製作者の責任が大きい)、他にスリーマイル島原発から漏れ出た放射線について作品が焦点を当てていた際、「当該地域で測定された放射線の本当の値はこれだと言い切っているやつがいたらそいつは嘘つきか無知だ」と言い放っていた。「とはいえ当時の被害状況や原発の状態から放たれたある程度の放射線量は予想できる」とかとでもその後に言うのかと思えば、そこで終わりである。これでは視聴者は完全に迷子になってしまう。散々、原発周辺で測定を繰り返すガイガーカウンターを持った技術者のカットがあった後に、こんなことを言われては見ている側としては混乱せざるをえない。技術者たちが放射線を測定していたのは事実でその報告も存在するが、その一方でそれらの測定が信用できるものか、正規の手法できちんと測定された値か、となると曖昧な問題であるというのも事実だ。だからといってここでこんな風に言い切ってしまうのは不健全であるし、当時放出された放射線量の定量的な考察を以後に行わないエクスキューズにはならない。
さて、話題を移すと、石炭火力や石油火力発電に比べて、原子力発電は二酸化炭素の排出量が大幅に少ないことはここであえて言及する必要はないだろう。数字にしてみれば、実際約40〜50倍の排出量の差があると知られている。また、発電量あたりの死者数に関しても、TWh(1時間あたりの単位発電量)あたりの原発の死者数は約0,4人であるのに対して、実は石油火力や石炭火力のそれは100人を超えるものなのだ。
※ただし原発のこの死亡統計量は多くの試算において晩発性の死亡ケースを除いている。多くの場合で、放射線被曝による晩発的な寿命短縮を、実際に「放射線の被曝であった」として確実に同定することは技術的にも難しいからである。チェルノブイリによって1万人を超える放射線被曝由来の寿命短縮(死亡)が起こったという試算も中にはある。もちろんチェルノブイリの事故が歴史的にも最悪な事故の1つであったことは事実だが、それらを加えたとしてもTWhあたりの死者数が火力発電などを超えることはない。
さらに言えば、発電量あたりの費用でも占有に必要な面積でも、原発に軍配が上がる。原発推進派をここであえて気取るつもりはないが、実際これらは紛れもない事実なのである。一方でチェルノブイリやスリーマイル島のような「おぞましい」事故が起こったことで、人々の頭からは「原発は恐ろしいもの」というイメージがどうしても抜けずにここまできているわけである。こういう現状にある中で、事故に起因する死亡ケースが無かった※スリーマイル島原発の事故を拾ってきただけでなく、専門家と呼べる人物をほとんど登場させず、原発への不安ばかり煽るような構成のドキュメンタリーを突然この現代に制作することに一体何の意味があるのだろうか。こういった類のドキュメンタリーは常に完全な中立を取るべきであるとつまらないことを言うつもりはないが、特に本作のコンテクストにおいては、原発を推進する科学的な理由が無視できないほどに豊富にある以上(そして原発というのが核物理学という現代科学の結晶である以上)、それらについて言及した上で、製作者らによる固有のアウフヘーベンがそこに挟み込まれるべきであり、最終的には観客に一定の深みのある問いを残すことまで至らなければならない。本作に対する私の最大の不満点はこの辺りである。
さて、それと1つ言い忘れたことがある。本作には「これだけの数値の放射線が測定された」というメンションが至るところでなされるのだが、現代の放射線基準に照らし合わせたとき、その放射線量が具体的にどれほど定量的に危険なのかを本作はついに示すことはなかった。本作に登場した放射線量に関する数値の中で最大値を誇っていたのは、当然発電所内で技術者によって測定された2.8レムという値である。今日では、あまりレムという単位は使われず、シーベルトという単位が使われるため、単位の変換を行うと、2.8レムという放射線量は28ミリシーベルトに相当する。これは一体どれだけの放射線量なのだろうか。
「結局、人体が最良の測定器なのです」という発言にあやかって28ミリシーベルトという放射線量がどれだけ人体に影響を及ぼすか考えてみよう。そもそもシーベルトという単位は、生物学的な影響を基準にして考案された便利な単位であり、100ミリシーベルトが1つの境界的な数値として働く。人間を100人集めたとき100ミリシーベルトの放射線量を各々に浴びせたとする。このとき、大体1人くらいが放射線被曝が原因でがんになるだろう、と言えるくらいの放射線量がシーベルトの定義である。
さて、どうだろうか。原発内にいた技術者が計った数値ですら28ミリシーベルトだというのを思い出すと、本作の編集方法が抱える問題点が浮かび上がってくる気がしてくる。28ミリシーベルトという放射線量は1979年の当時にしてみれば確かに恐ろしい数値だったことには違いないが、現代にしてみれば(異常事態として認識されるとはいえ)、ただちに被曝の影響が起こることを心配する数値でもないのだ。実際、スリーマイル島原発事故の影響でその地域の癌発症率が統計的に有意に(誰の目にも明らかなほど明確に)増加したかというと、そのような事実は基本的には認められていない。特にこの点において、本作は学術的に誤謬を含んだ内容を発信してしまっている。というのも、スリーマイル島原発事故の影響によって「約2〜3倍のガン患者数が増えた」と1997年の論文(https://ehp.niehs.nih.gov/doi/10.1289/ehp.9710552)を引用していたが、この論文内で主張されている数値は最大でも白血病か肺癌患者の15%以下の増加であり、「約2〜3倍のガン患者数が増えた」という主張は論文中どこを探しても書かれていない。
また、まるでこの論文で主張された結果が業界での共通認識として描かれていたのも不健康であると言わざるをえない。例えば2000年のhttps://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/10856029/ では先行研究の結果を否定している。私がこの問題を扱った幾つかの論文を読んだ限り、統計学者たちの見解としては「漏れ出た放射線が住民たちの被曝を起こし、地域内の癌発生確率を増加させたとはいえない」という結論を共通して下していると読み取った。とはいえ、当然私もこの分野の専門家ではないわけで、各々の論文でいかなる統計処理をデータセットに行っているのかについて事細かに説明していくつもりはないが、ここで重要なのは人類史上ワースト3位ともいえる原発事故の犠牲者は、「いる」のか「いない」かもはっきりとは分からない程度の被害だったということである。
何度も繰り返すように、ここから原発を推進する広告文を繰り広げていく気はさらさらない。大切なのはそれが事実である以上、偏った情報でドキュメンタリーを固めてしまってはただの味の薄いスリラー作品が出来上がるだけということである。
まとめ ドキュメンタリーと虚構
『メルトダウン:今語られるスリーマイル島原発事故』予告編より https://www.youtube.com/watch?v=nAOIH8HRdDo&t=3s
さて、今回はNetflixオリジナルドキュメンタリー『メルトダウン:今語られるスリーマイル島原発事故』を多少意地悪だったかもしれないが私の好きなように揉み砕くことができた。昨今のNetflixのドキュメンタリーは実に多岐に渡っており、どれも興味を唆られる題材で、セクシーな出で立ちなモノに溢れている。ただ一方で、その質も玉石混交であることを忘れてはいけない。あれだけ作品数があればそうなるのは当たり前だが、ことドキュメンタリー作品に至っては鑑賞者たる我々の姿勢をいつもより少し正して臨む必要があるだろう。ドキュメンタリーはフィクションではなく、現実の人物や現象を記録した映像作品である。現実との接続性が限りなくスムーズであるために、そこで映された世界は鑑賞者自身が持つ世界に簡単に仲間入りしようとしてくるのだ。そこで、忘れてはいけないのはドキュメンタリーは製作者の作家性が投影された「世界」であり、ある種の虚構でもあるということだ。
そもそもあらゆる世界認識なんてものは虚構なのだ、と言ってしまえば終わりなのかもしれないが、少なくともどのような虚構を自身の「世界」として信じるかは多側面からの情報を己の腹で消化してからにしても遅くはないだろう。
コメントを残す