『カメラを止めるな!』【感想】予算は300万円じゃない。秘められた多重構造と監督の真意。

きっと監督にとっては「青天の霹靂」とはまさにこのことであって、観客動員数が悠々と100万人を突破する大ヒットを記録するとは夢にも思わなかっただろう。作品の大きな反響が予想出来なかったことだ、と言うのは少し不躾かもしれないが、いやはや監督が自分でも言ってしまうように、やはり予想を大きく上回るものであったことは事実といえる。

そうした「カメラを止めるな!」の歴史的とも言える大ヒットは様々な要因によって引き起こされたものといえるが、カメ止め熱がやや落ち着いてきた今回顧すると、Twitter等のSNSによる爆発的拡散がやはりヒットに多大なる寄与を与えたと思っている。最初は出演した俳優陣や監督、プロデューサーなど作品に関わった人々が必死に宣伝を行い、「なにやらこの映画が凄いらしい」という”空気感”がSNSの世界で徐々に広がっていったときには既にヒットの兆しが見えてきていた。元々クラウドファンディングとして制作された今作は内輪向けの映画として世に出されるも、各界の著名人やいわゆるネット上のインフルエンサーの後押しを借りることにより口々に作品の魅力が伝えられ、あっという間に「観に行かないと流行に乗り遅れてしまう」と感じさせられるほどになっていたわけだ。

ネット上の拡散がここまで上手くいったのは「カメラを止めるな!」が純粋に完成度の高い作品だったことは前提として、作品自体の構造がネット上で拡散される感想・宣伝を規定するという特性が「カメラを止めるな!」には備わっていた、ということが挙げられる。「カメラを止めるな!」は予告編を作るのが難しい程にネタバレ絶対禁止の映画なのは明らかである。それゆえに鑑賞後の感想を求められたときに「とにかく良かった。とにかく観に行ってくれ。話はそれからだ」という感想以上の言語化は許されないし、観に行くのを薦める側もなるべく前情報なしに観に行ってもらいたいという一心から映画を観に行ってきた人達が嗾ける言葉が皆ほぼ同じという興味深い事態が散見された。

冒頭37分の観る者をモヤモヤさせる展開が見事にひっくり返される、というプロットが与えるカタルシスは「同じ体験を他の人にもして欲しい!」と思わせるだけの熱量を持ち、そのオススメの広がりが次の人、また次の人へと広がっていった。

人に映画や小説を薦めるのは難しい。苦労して作品の魅力を伝えようとしても、大概の場合その魅力を言語化することに失敗する。「分かった。観てみるよ」と友人が快く言ってくれたとしても、一ヶ月経った後も観てくれてないことを知った貴方はそれがただの社交辞令であったことを知る。作品がシリーズ物だったり、前提知識が必要な難解なSF作品だったりすると薦めるのはもう諦めた方が良いだろう。自分ひとりで楽しむのも良いが、やっぱり感動した作品に出会ったときには他人にも同じ体験をしてもらいたい、というのは趣味に生きる人が持つ共通の心かもしれないが、幾度かの失敗を経て人にモノを薦めるのを辞めてしまった人も数多くいるはずである。

ここに「カメラを止めるな!」の登場である。小耳に挟んだ噂を聞きつけて観にやってきたところ、「これだ!これなら人に薦めやすい。あの子もこれなら分かってくれるはずだ」と思いついた同士は勝手な予想だが日本に何万人もいたはずだ。シリーズ物ばかりが続く今の洋画ブームにすっかり取り残されてしまった人達にもうってつけなーー参入障壁の低い作品ーーそれが「カメラを止めるな!」である。

予算は300万円ではない

「予算300万円の低予算映画」とどのニュースサイトでも銘打って宣伝されていたが、未来映画会議に登壇された上田監督の真意を聞くと、本質的には低予算とはいえないことが分かった。監督や俳優を養成するスクール・ENBUゼミナールのプロジェクトとして始まった今作だが、上田監督が言うには「俳優に支払う十分な拘束料(ギャラ)」は満足に払えず、雇うというよりむしろ協力という形で作品が出来上がったということだ。「普通にやったら何千万は余裕でかかります」と言う上田監督。

「予算が少ない中、工夫を凝らした作品」と今作をみるのは僕は違和感を感じる。確かに数字としての予算が低かったことは事実だが、上田監督が言うように本来は費用がかかる多くの部分がカットされているため、予算の300万円というのまあくまで見かけ上のものである。それに作品に工夫を凝らすのは当たり前である。そもそも映画製作における予算(制作費)というのは、作品の方向性をいくらか定めるものであって作品の良し悪しを決めるものではない。壮大な宇宙を舞台にしたSF映画を作り上げたいのなら、多くの予算がかかってしまうのは仕方がない話であり、逆にスケールの小さい家庭的な恋愛映画をやりたいのなら必要以上の予算はいらずに済む。

有名俳優を使いたければこれもまた多くのギャラを払う必要が出てくるが、全ての映画作品が有名俳優を起用する必要もない。まさに「カメラを止めるな!」はそんな映画であり、有名俳優が今作に出演していたら「あ、この人は最後まで生き残るんだろうな」などと思わせてしまって悪影響の方が大きい。作品全体がたったひとりやふたりの俳優に喰われてしまう可能性だって出てくるわけだ。(「ガラスの仮面」でいう”舞台荒らし”状態である。しかし正直、役所広司が出演したバージョンのカメ止めも観てみたい)

率直な気持ちを言うと、「低予算映画なのに〜」という文言が僕は気にくわない。低予算ならば低予算なりに物語を構築していかなければならない。高予算の場合は予算をどのように使っていくかという点で工夫をせざるを得ないわけであり、どちらの場合も監督陣が頭を捻る必要があるのは同様である。こういう意味で今作を工夫が施された作品と褒めることは、監督に対して僕は失礼だと感じるため僕には出来ない。

しかし「カメラを止めるな!」が内包する三重構造‥いや四重構造、は凄い。冒頭の展開が異なる視点でひっくり返るという二重構造、ここで物語が終わっては駄目なのである。それはただ冒頭の意味の分からないシーンを後半で解説したに過ぎず、マイナスをプラスで回収したに過ぎない。分かりにくく例えると、一度極小値をとった後、再びx軸に戻ってきたのと同じである。

しかし今作はそこだけでは終わらず、「カメラを止めるな!」を撮影しているカメラマン陣を最後に見せつける。ここがゼロからプラスに転じる瞬間であり、冒頭の展開すらも内包する三重構造を示す場面である。そして観客の”眼”が「カメラを止めるな!」を観ることで三重構造を持った作品を観る、という四重構造を最後に発生させる。

「カメラを止めるな!」という作品はどんでん返しが待ち構えた表裏のある作品のように思えるが、実は表裏どころか三重、四重と重厚な構造を持つ作品であり、裏の裏まで見せつけた映画作品なのである。

(上田監督とのツーショット。監督、ありがとうございました‥!)

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